・光明 祭後終と結城啓明が初めて友達になったのは、小学校の放課後だった。 二人は床にランドセルと教科書を散らかしたまま並んで座り、ゲームのコントローラーを握っていた。 画面の中では激しい戦いが繰り広げられ、シュウの指先は正確にキャラクターを操っていた。 「お前、やっぱすげーな!」 タカアキの輝いた顔は夕方にありながらまるで太陽みたいに明るかった。 シュウは顔を少し赤くしながら、コントローラーをぎゅっと握りしめる。 「い、いや…コレはたまたま運が良かっただけで…」 その言葉とは裏腹にシュウの操作に迷いはなく、苦戦の様子もなくチームを勝利させていた。 タカアキは「決めた!」と大声を上げながら立ち上がった。 「お前、俺たちのチームに入れるぞ〜っ!」 言うが早いか、タカアキはコントローラーを片手に玄関まで走り出した。 「は?えっ?ま、待てよ!」 シュウは慌てながらも無意識にタカアキを追いかけ始めた。 だが途中でランドセルを背負っていないことに気づき、部屋に戻ってそれを掴むともう一度駆け出した。 「かーちゃん!ちょっとリョースケのトコ行ってくるぜ!」 タカアキはまだ完全に暗くなっていない空の下を、振り返りもせずに駆けていく。 その背中は夜空の一番星に照らされ、その明るさも真っ直ぐさも自分には到底届かない場所にあるような気がした。 シュウはこの日、この瞬間に初めて「友達」と呼びたい存在を得たと感じた。 タカアキの笑顔は自分を孤独から救いだしてくれた存在であり、見上げた先にある星の光そのものだった。 ───────────────── ・呪縛 「今日の道徳でやってた立派なオトナってさー、シュウはわかった?」 「ンなもんわかんねー!オレずーーーっとダイシューのコト考えてたゼ!」 夕焼けの中、二人の少年がランドセルを地面に引きずりながら授業の話をしていた。 シュウと呼ばれた少年が頭をボサボサにかきむしっていると、背後から駆け寄って来た少女が驚いた顔で話しかけてきた。 「ちょっと祭後くん、結城くん!何やってるの!」 「おつかれさまです〜」 それは黒い長髪を揺らすいかにも真面目そうな少女と、眩いばかりの金髪が華奢な白い肌に映えるおっとり気味な少女だった。 「いやだってシュウがよ〜こうした方が楽だってよ〜」 「タ、タカアキ!そんなコトより立派なオトナの話しようゼ!」 慌てて黒色のランドセルを背負った少年・祭後終は親友の言葉を遮って強制的に話を変える。 「授業の振り返りなんて祭後くんにしては真面目じゃない?」 「うるさいやい」 ジト〜っとした目でそう言われたシュウは少し怒った顔で悪態をつく。 「ん〜"誰かの為に頑張れるヤツ"…とか?」 「あら。良い答えじゃないですか?」 金髪の少女に褒められたタカアキは僅かに顔を赤くしながら、パッと逸らした。 シュウはニヤっと笑いながらタカアキの背中をバシっと叩き「ソレを授業で言えよな〜!」と笑う。 「ん〜?それもそうか!」 タカアキの大きな笑い声に釣られ、少女二人も笑うとそれぞれの帰り道に別れていった。 ───────────────── ・無敵 電車を降りた三人の少年はそわそわしながら辺りを見回しつつもなんとか改札の外に辿り着いた。 「おいタカアキ!キョロキョロし過ぎだゼ。オレたち田舎モン丸出しじゃねーか」 「う、うるせぇ。俺たちゃは東京生まれ東京育ちだろ」 「ココはこれから戦場になるんだからな!ビビった方が負けだゼ!」 「まだ来月だよ」 「リョースケは来たことあんだっけ」 「任せて!ここのトイレなら何度も借りたからね!」 リョースケと呼ばれた優しそうな顔つきの少年が得意気に親指を立てると、二人はずっこける。 「遊びに来たんじゃないのかよ!」 「やーいウンコマン!」 「シュウくん、キミってば本当に子供だね」 三人の中で唯一ゴーグルをしていない少年、シュウはケラケラと笑いながら二人の友人を追い抜かして横断歩道を駆け抜けていく。 「はやく来いよー!」 「ちゃんと左右見ねぇと危ないぞ!」 振り返りながら笑顔を向けるシュウに怖いものはなかった。 ───────────────── ・残響 「なに!?私が悪いって言うの!?」 シュウの母親が机をドンドンと叩く音が隣の部屋にも響いた。 「当然だろ!浮気だぞ!子供までこさえて…!」 「許しなさいよ!あんた私を幸せにするって言ったでしょ!?責任持ちなさいよ!!」 シュウの母親が机をドンドンと叩く音が隣の部屋にも響いた。 「な、なにを言ってるんだよお前は…!?」 「当然の権利でしょおお!?あんたは金しか取り柄の無い!あんたが!!?私に指図!?!?」 シュウの母親が机をドンドンと叩く音が隣の部屋にも響いた。 「もうやめてくれよ…!」 11歳のシュウは部屋で頭を抱えて呟いた。 ドンドンという音がゲームの射撃音と重なり、シュウを苦しめた。 あと数時間でタカアキたちと約束したゲーム大会の日になるというのに、シュウの手はコントローラーを持つ事もできない程に震えていた。 「シュウ起きてるな。私たちはこの家から出ていく。9月からは別の学校に行くぞ」 スーツ姿の父親がシュウの部屋に突然現れると彼の手を掴み、その身一つを車の中へ押し込んだ。 シュウはその手を握る力の強さに顔をしかめ、涙をこらえた。 「新しい母さんは欲しいか」 「母親ってそういうものなの…俺わかんないよ…」 走る車の中で父親から投げられた問いかけにシュウがそう答えると、彼はムッとして目を道路に向けた。 休みの間、シュウはホテルのベッドで寝ることになった。 去年まで大好きだった筈の夏休みが、夏が、8月1日が大嫌いになった。 大会に出れなかった事を謝りたかった。 タカアキに思いっきり殴って欲しかった。 『─その内、死亡が確認されたのは結城タカアキくん(11)の一名で…』 あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ ッ ! ! ! テレビの画面がもうその機会は永遠に来ないことを告げた。 「ゲボッ!ゲボッ!ゴボボッ、ゴボッ!ゴゲッ!オ゙…ア゙…!」 『シュウ』 不快感を投げ捨てたくて何度何度も喉を指でかき回すするが、ここ数日何も喉を通っていない自分に吐くものもない。 ドンドンという音が隣の部屋から聞こえる。 『シュウ』 自分のせいだと色んなモノに当たり散らしても意味は無い。 ホテルのスタッフや父親が何事かと慌ててシュウを止めた頃、右手にはなにかでつけたキズができていた。 ドンドンという音が隣の部屋から聞こえる。 『シュウ』 ホテルのスタッフも、新しい学校の教師も母親の件を聞くと眉を下げてシュウに同情的になってくれた。 だけど、もう何も見たくない聞きたくない考えたくない。 ドンドンという音が隣の部屋から聞こえる。 『シュウ─なんでお前が生きててオレが死なないといけなかったんだ?』 タカアキがそんな事を言う筈が無い。 ただの幻聴だ。 それはわかってる。 わかってても。 ドンドンという音が隣の部屋から聞こえる。 『シュウ…シュウ…』 ぐちゃぐちゃに溶けた影がシュウの右腕を掴んだ。 強く握られた右腕がジュッと音をたてて溶けたような感覚になる。 『なぁ。俺は生きてたかったよ…』 一度振り払われた影はやがてシュウの身体にまとわりつく。 『お前が死ねばよかったんだ』 「─あ゙っ」 ドンドンという音が隣の部屋から聞こえる。 ───────────────── ・雨垂 雨の匂いが街に満ちていた。 アスファルトに打ちつける雨粒は、静かに夜の喧騒をかき消していく。 一人の少女・津久井深夜は塾の門を出たものの、そのまま帰る気になれずに傘も差さず夜道を歩いていた。 家に帰りたくない。母が待っている。 機嫌のいいときは何事もないが、ひとたび気に障れば怒鳴り声が壁に響く。 時に何もしていなくても、不機嫌の矛先はミヨに向かう。 親子とするには違和感のある関係性はいつも彼女を寄り道へと駆り立てた。 「やだな…」 そんな独り言を呟きながら、ミヨは目の前のマンションへと足を向けた。 雨宿りするにはちょうどいい場所だった。 湿った空気が肌にまとわりつく中、ミヨはマンションの外階段に腰を下ろした。 図書館で借りた本を読むわけでもなく、ぼんやりと眺めていると足音が近づいてきた。 「…なにやってんだ、お前」 低い声に、ミヨは顔を上げる。 まだ新しいスーツの襟を少し窮屈そうに引っ張る青年が、怪訝そうにこちらを見下ろしていた。 「ここ。俺の家の前だぞ」 「ごめん…なさい…」 ミヨはか細い声で返事をするが、青年は眉をひそめた。 薄暗い街灯の下、ずぶ濡れの小学生がじっと座り込んでいる様子はどうにも…いや、気にするなという方が無理だった。 「雨が…やむまで…ダメ?」 「…好きにしな」 どこか頼りなげな声に青年はそう返事をすると、"祭後"と書かれた表札が掲げられた玄関のドアを開いた。 「いっ…いいの…?」 「まあ、なんだ…帰りたくないんだろ」 ミヨの目に一瞬だけ警戒心が和らぐ色が浮かぶと、彼女はシュウの部屋へと上がり込んだ。 当然の顔で部屋の真ん中を陣取った初対面の相手にシュウは思わず苦笑いした。 「…お前、ずいぶん図々しいな」 ───────────────── ・煌星 夏祭りの帰り、駅構内で開かれていたハンドメイドマーケットに足を止めた。 雑貨が並ぶ小さな屋台、その一角で黒い星型のキーホルダーが光を反射して揺れている。 「それ欲しいのか?」 「べっ、別に〜?」 ミヨはそっぽを向くが、目は明らかにキーホルダーを追っている。 「はいはい。わかりやすいな」 むっとして腕を組んだミヨは、すぐに言い直した。 「じゃあ、お兄ちゃんが買って!ふたつ!」 「…え?」 「お揃いにしてあげるって言ってんの」 当然のように言われ、シュウは呆れつつも財布を取り出す。 すぐにシュウから押し付けるように渡されたキーホルダーを見つめると、ミヨはふっと笑った。 「…ま、悪くないな。でしょ?」 「先に言うなよ」 光を浴びた横顔は、どこか誇らしげに輝いていた。 頼られることに少し怖さを覚えつつ、悪くないと感じる。 シュウは無言で自分のキーホルダーをポケットにしまい、歩き出した。 「やっぱ兄妹でおそろいとか、ちょっとダサいかも」 「お前な…」 ───────────────── ・夢想 シュウの意識がふわりと浮かぶ。 まぶたの裏に、柔らかな光が差し込んだ。 「おい、シュウ。起きろよ」 誰かの…懐かしい声がする。 シュウは寝ぼけたまま目を擦る。 次第に視界がはっきりし、窓の外には見慣れた景色が流れていく。 そこは、電車の中だった。 「ん…タカアキか?」 隣の座席にいた青年は親友・タカアキだった。 タカアキはいつも通りにかっと笑うと、「降りるんだよ」と言いながらシュウの背中をぺしぺしと叩く。 そのまま立ち上がり、当たり前のようにドアの方へと向かっていく。 シュウは一瞬遅れて立ち上がった。 胸がざわつく。これは─ 電車を降りるとそこには大量の人、人、そして人。 ビルの間を縫うようにぎっしりと人が行き交い、絶え間なく雑踏の音が響いていた。 「やっぱ祝日の都心に来るのは止めた方がよかったかなぁ?」 タカアキが軽く伸びをすると苦笑しながら言う。 「お前…」 何かがおかしい。 だがタカアキはそんなシュウの違和感をよそに、笑いながら人混みを掻き分けていく。 『─結城タカアキくん(11)』 視界にノイズが走り、耳鳴りがする。 頭の奥で何かが警鐘を鳴らす。 違う、これは─ ふと、右手の甲がじくりと痛んだ。 シュウは無意識に手を見下ろすと、そこには一本の傷跡があった。 古傷のはずのそれが、まるで新しい傷のように赤く滲んでいる。 再び視界にノイズが走る。 タカアキの姿が、不安定に歪んでいく。 焦燥感に駆られ、シュウは急いでタカアキの後を追った。 人の波をかき分け、やっとの思いで腕を掴む。 「ん。どうしたシュウ?」 振り返ったタカアキは、いつもの笑顔を浮かべていた。 「──お前は俺が殺しただろ」 瞬間─世界が溶けた。 タカアキが、周囲の人間が、まるで腐敗したゼリーのように溶け崩れ、地面に染み込んでいく。 まばゆい都会の光景が急速に崩れ、代わりに現れたのは、ひび割れたアスファルトと埃まみれの壁。 荒れ果てた街。 崩れ落ちて道を塞ぐ建物。 巨大な廃材の山。 そして─放置された廃車とその足元にある赤い線。 「繧キ繝・繧ヲ窶ヲ繧ェ繝槭お繝鞘?ヲ」 吹き抜ける風が乾いた砂を巻き上げた時、"ぬるり"と廃材の奥から、巨大な頭が這い出してくる。 まだ完全には形を成していないソレは粘土のようにゆらゆらと揺れながら、シュウをじっと見つめていた。 右手が再びずきりと痛む。 シュウは傷のある手を握りしめ、静かに目を細めた。 やがて周囲に立ち込めていた白い靄が、ゆっくりと晴れていく。 冷たい現実が、夢の残滓を押し流すように。 シュウは何度か右手をゆっくりと開いた。 その傷跡をじっと見つめながら、口元にかすかな笑みを浮かべる。 「人の心なんてとっくに捨てたさ」 嘘つきの涙は、とっくに枯れていた。