① 「海鈴、大切な話って何?」 「来ましたね立希さん」 昼休み、今日海鈴が立希を呼び出したのは、中庭ではなかった。自販機の前でもない。ここは、校舎裏。あまり人の寄り付かないところ。 「わざわざこんなところに」呼び出すとは。シチュエーションがこれなので、立希は不本意ながら、少しだけドキドキしていた。一方の海鈴はなんでもないような顔をしている。 「いえ、実はですね。朝、大変なものを発見してしまったんです」そう言うと、海鈴はかたわらの茂みをかき分けた。「とりあえずここに隠したのですが…見てください」 立希は言われる通り、その中を覗き込んだ。 「わふ!」 「うわぁ!」 茂みから何かが飛び出し、立希に飛びついた。それは、こがね色の、立派な毛並みをした…大型犬だ。犬は上体を起こして、立希に顔にじゃれつく。「わふわふ!」 「な、何だよぅ!」 「立希さん、見ての通り」海鈴が、犬をなだめながら言った。 「三角さんがこんな姿に」 〈三馬鹿、犬を拾う〉 「これが…三角さん!?」 衝撃を受ける立希と眼前では、海鈴が立希から引き剥がしたうい犬の全身を撫で回していた。犬は気持ちよさそうに鳴いている。「わふわふ!」 「よく見てください」海鈴が撫で回しながら、うい犬の背中を示した。立希が目を凝らす。 「あ!さきタコ!」うい犬の背中には浅葱色のタコともクラゲともつかない、リボンをつけた軟体生物が張り付いていた。祥子の眷属だ。その物体は、目つきの悪い眼を閉じて眠っていた。 「これは通常三角さんにくっついてます。ということは、三角さんですよ、このイヌ」「わふ!」 立希はうい犬をじっくりと見る。首輪もバンダナもない。だが、言われてみれば。「た、確かに面影がある気が…?しかしそんなことが本当に…」 「では見ていてくださいね」海鈴が屈んでうい犬に目を合わせた。 「三角さん!」 「わおん!」 海鈴が満足気に立ち上がって「ほら返事をしました。やはり三角さんでしょう」と言った。 「うっ、そうなのか…やっぱり…」立希は渋い顔をした。 「さて。そうなると問題は」 「どうしたら元に戻るのか…」 「はい」ふたりは、お互いとうい犬を交互に見た。そして舌を出して尻尾を振るうい犬の前で、頭を抱えた。 「三角さんが戻らないと…このままじゃ、学校にいる間の海鈴のお世話担当が私ひとりに…」立希が呻る。 「ちょっと!立希さん!なんか私の方が犬みたいな言い方じゃないですか!」 「冗談だよ。半分くらい。しかし三角さんは何故こんな姿になったの?」 「背中のオブリビオクトパスが知ってるかもしれません。まずは起こして聞いてみましょう」 「変な名前つけるなって」 海鈴がうい犬の背中で眠るさきタコを指で執拗につついた。「お昼寝中失礼します。起きてください」「おい起きろタコ」「立希さん言い方がヤカラすぎます」 ごちゃごちゃ言いながらつついているうちに、さきタコが緩慢に目を覚ました。 「ンナーナンナンデスノ」 「起きましたね。三角さんに何があったんですか」「わふわふ」 「ンー?」タコが足元を確認した。「アレッ!ワンコデスワ!」 「わん!」うい犬の元気な返事を受けたさきタコが、その背中でオロオロし始める。おかしな光景だ。 状況は未だ予断を許さない。海鈴が顎に手をあてた。 「オブリビオクトパスも変化に気づいていなかったようですね」 「シリマセンワー」 「こいつ肝心なことを把握しないで…こういうところは祥子っぽいな…」 「ムキー」 「わふわふ」さきタコが目を覚ましてやかましくしたので、うい犬が自分の背中のさきタコを追いかけてくるくる回り始めた。「アワワタベチャダメデスワ~!」 ふたりはそれを尻目に話を続けた。 「オブトパスが知らないとなると」 「略すな略すな」 「我々でなんとか原因を突き止めるしかないのでは」 「うーん…三角さんが変なもの食べたとか?」 「とすれば豊川さんが食べさせたとかですかね」 「…ありそうな話ではある」 「シツレーデスワヨ~」 「ハッハッハッ」うい犬はさきタコを乗せてその場でくるくると回っていた。 「犬になって…言葉が通じないし、人間性も失っている…」 「あうーん」さきタコに飽きたうい犬海鈴に飛びついた。 「ちょっと!あんまりじゃれつかないでください」「うぉんうぉん」「顔を舐めちゃダメですよ」 「お、海鈴、人間の頃の三角さんより打ち解けてるじゃん。信用されてるのかもね」 「私のは人間のための信用なのですが…!」 「あっ見つけたふたりとも〜こんなところにいたんだね〜」 「わふわふ」「わ、私の綺麗な顔がべちょべちょに」 「…これ何してるの?」 「あ、三角さん。見てよ、三角さんが犬になっちゃって」 「くぅくぅ」「待て!待てです!ステイステイ!」 「えーっ!私が犬に…そ、それは大変だよ。どうしてそんなことに!」 「それがわかんなくてさ…」 「そんな、さきちゃんになんて言ったら…」 「………ん?」 「「「ん?」」」 三羽烏が固まって、お互いを見やった。うい犬は3人を交互に見回しながら、尻尾を振っていた。さきタコが「ウイカデスワー」と言いながら触腕を揺らめかして喜んでいる。 そして立希と海鈴が、初華を見て驚いて飛び上がった。「「三角さん!?」」初華もまた、唖然としていた。 「人間だ!?」 「人間だ、じゃないよ!なんでそのワンちゃんが私になってるの!?ふたりとも受け入れちゃってるし!?」 「いや、これは…あまりにも自然だったというか…」 「犬が三角さんっぽいというか三角さんが犬っぽいというか」 「な、何それぇ。大体私」初華が訴えた。「午前中一緒に授業受けてたじゃん!」 初華の提言に、ふたりが再度固まった。そしてふたりして脳内のその日の記憶と辿った。すると顔を突き合わせて挨拶していたような気すらしてくる。 「…確かにそうですね」「完全に失念してた」 「も〜〜〜」初華が地団駄を踏む。「あおん」うい犬が初華の手を舐めた。 「い、言い訳すると、さきタコがくっついてたせいもあって…」 「さきちゃんは人を見分けるのが苦手なんだから、この子が私と犬と間違えるくらいはわけないよ!」 「シツレースギデスワ」 「ちいさきちゃんも離れちゃダメだよ。お手洗いに行くから外したら、どっか行っちゃうんだもん」「ゴメンデスワ」 「着脱式なんだこいつ…」 「三角さん、なんだかお姉さんみたいですね」 初華はぷりぷりと怒りながら、さきタコを回収した。そのついでに、うい犬を撫で回す。「うりうりうり」うい犬は、誰に何度撫で回されても、嬉しそうに尻尾を振っていた。「わふわふわふ」 「なっ…私に懐いていたのに…」海鈴はそれを何故か悔しそうに見ていた。「お前の信用は人用じゃなかったの…」立希が呆れる。それに見たところ、彼女は誰にでも懐いている。きっと、海鈴にすら懐く、と言うのが正しいのだ。 「でもさ。このワンちゃん、私じゃないなら」初華がうい犬を撫でながら溢した。「一体何者なのかな」 「「……」」 立希はもちろん、犬を見つけた海鈴も黙り込んだ。彼女を初華と誤認したさきタコもまた、真相を語れはしない。「わん」と、うい犬が鳴いた。 ② 【前回のあらすじ】 迷い犬を拾った花女1-B三羽烏。海鈴が学校で見つけた犬の正体は、三角初華ではなかった。3人は迷い犬をどうするか、意見を交わす。 「お手」 「わふ」 「おお!見ましたか。ふたりとも!お手をしましたよ!」 「あはは…」 初華が曖昧に笑う。海鈴はひとりで嬉しそうにうい犬と戯れていた。気楽なものだ、と立希は思った。今はこの犬の正体すらわかっていないのだ。 「おすわり」 「くぅ?」 「おすわりですよ。座るんです」海鈴が座った。 「お前が座ってどうするんだよ」 「わふ」海鈴の意図が通じたのか、うい犬も倣って座った。 「対等だね海鈴ちゃん…」 海鈴がうい犬と同じくらい嬉しそうに、うい犬の顎を撫でた。「いい子ですね。信用を感じます」「結局犬の信用でいいのかお前は」立希は思わず口に出した。海鈴にも機嫌がわかる尻尾がついていればもっと親しみやすいのでは、という考えが頭をよぎる。 「ったく…いつまでも遊んでるわけにもいかないでしょ」 「そうだよね。うーん、学校の偉い人に相談してみよっか…?」 「この学校の偉い人?」 「もしかして弦巻さんのことですか?」 「いや偉いかもだけど…そういう話か?」 「ヒィー」弦巻の名前を聞いたさきタコが初華の頭の上で縮み上がった。「わぉん?」うい犬が鳴き、初華がさきタコに両手を置く。 「生徒会長とニコイチだし、あながち間違いじゃないかもね」 「ふたりはニコイチなんですか?」「同じバンドってだけじゃないの?」 「ギタボとキーボードはニコイチなの!」初華が前のめりになった。得体の知れない勢いにふたりが怯む。 「ぎ、ギタボじゃなくてボーカル、キーボードじゃなくてDJですよ」 「ほぼ同じようなものだよ!」「あおん!」初華がうい犬と一緒に吠えた。確かにふたりはそっくりだった。 「牽強付会すぎる…」 「いえ…こういうしたたかな根回しは重要ですよ」「タノモシーデスワ」 「それじゃあとりあえず、生徒会長に相談に行きましょう。権力におもねる先生よりも頼りになりそうですし、この子に悪いようにもしないでしょう」海鈴がうい犬の頭を撫でた。 「海鈴、気をつけなよ」立希が釘を刺す。「野良なんだから、あんまり入れ込むとよくないよ」 実際海鈴は、信用されたとなるとつい力んで走ってしまうタイプである。それは犬相手であれ、同じだろう。海鈴がまた泣くのはよろしくない。立希は思った。横で初華がしみじみと、「こういうのって、ダメだってわかってても、心が動かされちゃうんだよね」と言った。「ロマンチストデスワネ」 海鈴は少しムッとした。「立希さん、私もそのあたりは弁えていますよ。あくまで常識的に迷い犬を保護しているんです」 「んー、ならいいけど…」 「じゃあ行きますよマチルダ」 「言ってるそばからおい!」 「なんですか」 「名前とかつけるなって!」 「しかしいつまでもワンちゃんというわけにはと思いまして」 「うんうん、呼んで欲しいよね…名前…」「イエカエッタラデスワ」 「にゃうん」 「にゃうん?」 3人が、うい犬とも違うおかしな声が会話にインタラプトしたのを聞いた。声のした方に一斉に振り向く。 「にゃおん」声は地面の方から聞こえていた。声の主は小さな、四つ足の影だった。「わふん?」うい犬も、興味深そうに見つめている。それは、野良であれば不思議なほどに、白く艶やかな毛並みをした猫だった。しかし、1番目を引く特徴は、その目だ。左右の目の色が違う。金と銀の、オッドアイだった。 「みゃお」と鳴き、とことこと歩いて目の前で座り込んだ猫を、3人はじっと見ていた。誰もが思うことを、誰かが口に出さなければならなかった。 「立希さん…」また、口火を切るのは海鈴だった。「これは流石に…」 「…いや、まだ判断には早い」立希が留めた。「さっきもそれで違ったわけだし」 「ほ、本人に連絡してみるとか…」 「あいつが出るわけがない…」 「しかし考えてもみてください。オッドアイの白猫なんてそういますか?」「わふん…」 「みゃおみゃお」 「そ、そりゃ珍しいかもしれないけど…だからと言って人が簡単に猫になるか?」 「なーご」 「元々が猫っぽかったらなるのかも…」 「ふなふな」 「元から猫だったのが戻ったという説はどうでしょうか」「わふ?」 「猫人間ってこと!?」「オカルトデスワ」 「この場ではお前の存在が1番オカルトなんだけど」 「みゃおん」 立希が野良猫を前肢から抱え上げた。野良猫は暴れたりはしなかった。身体がうにょーんと伸びる。それを立希がじっと観察する。「にゃお?」首を傾げる野良猫に、立希が短く一息吐いた。 「…いや。みんな落ち着こう。人が猫になるなんてそんなこと」 「まっちゃ」 「「「!?!?!?」」」 3人が再び野良猫を凝視した。 「た、た、立希ちゃん!い、い、今!」 「き、聞いた!私も聞いた!」 「これもう言い逃れできませんよ!」「わおんわおん!」 立希が伸びている野良猫を上下に揺すった。「ちょい!もっぺん鳴け!」野良猫の上体がうにょうにょと伸び縮みする。「にゃーご」野良猫は素知らぬ顔で普通に鳴いた。 「こ、コイツ…鳴けってのに…!」 「立希さん、言動がヤカラすぎますって」 立希が再び野良猫とにらめっこする。今度はまるで正体を見破るように睨んでいた。あまりに殺気走っているので、そのうち初華が心配そうに声をかけた。 「た、立希ちゃん…?」 立希が悩ましそうに「まだ…」と、呟いた。「今のが、気のせいの可能性も、ある。猫にもちょっと変わった鳴き声はあるだろうし。まっちゃ、くらいなら、言うかも」 「ちょっと無理がある気も…」 「ゆべし」 「「「!?!?!?!?」」」 3人がみたび野良猫を凝視した。 「た、た、た、立希ちゃん!い、い、い、今!」 「お前、おちょくってるのか!?」立希が野良猫を上下に激しく揺らす。「なごなご」 「立希さん終わりです。普通の猫はゆべしとは鳴きません」「わふんわふん」 野良猫はまた関わらぬこととばかりに「みゃお」と鳴いた。それを聞いて、おそらくこんなことをしていても一生この猫の正体は掴めないだろう、と立希は思った。第一、人間の方の正体もよくわかっていないのだ。 「とにかく、まともな猫ではなさそうか…」 「この際まとめて偉い人に解決してもらいましょう」海鈴は早くも考えるのをやめていた。「弦巻財閥なら猫を人に戻すくらいわけないですよきっと」 「そんなことあるんだ…」「オソロシーデスワ」 「まぁ、確かに野良猫で遊んでてもしょうがない」立希も諦めた。 「それじゃあ、猫の方も私にお任せを」海鈴が、立希の腕から、野良猫の首根っこを掴んで連れて行こうとした。野良猫の体が宙に浮く。 「ニャーッ!」野良猫が暴れて海鈴の腕を引っ掻いた。「痛っ」野良猫は海鈴の手から逃れると、地面に降り立って毛を逆立てた。「フーッ!」 「な…信用…?」海鈴が目を見開いて震える。 「猫はダメだったか…」立希が薄ら笑った。 「めちゃくちゃ警戒されてるね海鈴ちゃん…」 「なんで!立希さんには素直に抱かれてたのに!」 「海鈴には下心があるからじゃない?動物ならいけるっていう」 「海鈴ちゃん…」「コソクデスワー」 「う、うぅ…そんな…」ショックを受けて立ち尽くす海鈴の、野良猫に引っ掻かれた手を、うい犬がペロペロと舐めた。「くぅんくぅん」 「マ、マチルダ…」海鈴が感涙しながらうい犬に抱きついた。「私の味方はあなただけです…」 「うわぁ…なんかもう絆が芽生えちゃってるよ…」 「はぁ…」立希は深いため息をついて、野良猫を抱き上げた。野良猫はうってかわって素直に体を預けると、喉をゴロゴロと鳴らした。 「行くよもう。バカなことしてないで」 「マチルダをバカにするのは許しませんよ」 「お前のことだよ…」 こうして、猫を抱えた立希と、タコを乗せた初華と、犬を連れた海鈴は、解決を求めて歩き出した。 ③ 【前回のあらすじ】 迷い犬を拾った花女1-B三羽烏。さらに迷い猫まで加わり状況は錯綜。3人は解決策を探して、生徒会長に会いに行くことにした。 「やけに長い昼休み…」 立希は呟いた。これから犬と猫を連れて校内を行かなければならないと思うと、頭が痛んだ。 「犬にカロリーバーは良くないですかね?」 「牛乳成分がダメだったんじゃないかな。お腹壊しちゃうって」「カフェインモダメデスワ」 海鈴と初華は呑気に犬の餌の話をしていた。立希の腕の中で丸くなっている野良猫が「にゃあ」と鳴いた。立希が「本当にお前が野良猫なら、うちのバンドは終わりだぞ」と話しかけると、もう一度「にゃあ」と鳴いた。 「うん、よく似合いますよ。やっぱり三角さんと他人とは思えません」「ソックリデスワー」 「わふわふ!」 「なんか複雑な気分…」 立希の後ろでは、ふたりがうい犬に初華の帽子をかぶせて遊んでいた。キャップはやけに似合っていたし、うい犬本人も跳ね回って喜んでいた。 そうして3人が人気のない校舎裏を離脱し、いざ校舎に入ろうとしたときである。 「キーオ、キーオ」と、小さく甲高い声が聞こえた。上の方からだった。3人と1匹は見上げた。3人ともが、見ない方がコトは円滑に進みそうだと薄々思ってはいたが、それでも見上げたのだ。すると校舎のひさしの部分に、普段目にすることのない小さな影が座しているのが目に入った。 「わおん!」うい犬が鳴いた。 そこにいたのは、猫よりもさらに小さな動物だった。知っている動物ではある。だが、そこにいるには、種別も、そして色も、あまりにも不自然だった。 「ちょっと確認したいんだけど」 「はい」 「私が見てるものをみんなも見てるよね?」 「残念ながら。もし立希さんにしか見えてないなら、危ないクスリを疑えたのですが」 「わ、私もかなり幻覚だと思いたいけど…いるよ…」 「そっか…」立希は改めてそれを二度見して、諦めて存在を認めた。確かにいる。 「ピンク色の…リス…」 「キー」 ピンク色のリスが、コツコツとせわしなくひさしを叩いていた。 「リス…ってこんなところにいるものですか?」海鈴が当然の疑問を口にした。初華が素早くスマホを打つ。検索だ。「ちょっと待ってね…アッ!」 初華が声を上げた。「あれエゾリスだよ!」 「エゾリス?」「どういうことですか」 「エゾリスはね…蝦夷、つまり北海道にいるリスだよ!」初華が得意げに言う。 「だからなぜそれがここにいるんですか」 「色がおかしすぎるって!」 「そんなこと私に言われてもわかんないよぅ」ふたりに詰められた初華が半べそをかいた。 「フシギセイブツデスワ」 「まだギリギリお前の方が不思議生物だけど…」 「キーオ、キーオ」そのうちに、エゾリスが鳴いて、うい犬の背中に飛び降りた。「わふ?」そしてうい犬の背を駆け上がると、帽子の上に立った。エゾリスはそのまま、じっと立希の方を見つめていた。「な、なんなんだ…」 「リッキー!」エゾリスが鳴いた。 「むむっ!立希さんの名前を呼びましたよ!」 「た、立希ちゃんもしかしてこれって…」 「リッキー!リッキー!」 「…いや、全部言わないでいい…この騒がしさ…うざったさ…」 「キキキキ」エゾリスが笑うように鳴いて顔を掻いた。うい犬が上を見ようとするが、犬は頭の上を見ることはできない。「わお?」上を見上げて不思議そうにうい犬は鳴く。立希はしかめ面をした。このエゾリスの正体が思った通りのものだったら、本当に面倒ごとが増えただけだ。 「こいつの正体は…今はいい」立希は答えを保留した。 「いいんですか?これの正体もあの彼女だったら異常事態ですよ」 「ここにピンクのエゾリスがいることだけでもう異常事態だから」騒がしいエゾリスをつまみ上げる。「こいつも、こいつらと一緒に、弦巻チョコレート工場送りにしよう」 「ち、ちゃんと正体を確かめてもらおうね…」 「マチルダをガムボールにはさせませんよ」 「キーキー!」エゾリスはやかましかったが、立希が腕に抱いた野良猫の上に置くと、ころんと丸まって静かになった。野良猫もまんざらでもなさそうに鳴いた。「なーご」 こうして、三羽烏の珍道中にエゾリスが加わった。揃って歩いていくと、道行く生徒の視線を感じたが、この異常事態のどれが注目を集めているのかはわからなかった。 「もしかしたら立希さんの関係者が次々と動物に変えられて、立希さんに助けを求めに来てるのかもしれません」歩きながら海鈴が口にした。 「怖いこと言うなよ…」 「いえ、あり得る話です。実際にほら、千早さん」「キー」「要さん」「みゃお」「三角さん」「わふ」 「だからワンちゃんは私じゃないんだって!」 「そして豊川さん…」「タタタタイヘンデスワ」 「さきちゃんの本体もちゃんと別のところにいるよ!」「アッソウデスワー」 「やっぱりこいつの存在はノイズだな…」 このようにごちゃごちゃ雑談しながら、音楽隊は学校を練り歩いていった。3人とも、もう余計なものとは出会いたくないと思いながら歩を進めた。そして校舎に入ってしまえば、出会うこともないだろうともまた思っていた。 ゆえに、廊下を曲がった先に、その影が見えたとき、3人全員がフリーズした。 「…」 それは、エゾリスよりもさらに小さい、四つ足の影だった。そしてエゾリスよりも馴染み深い存在だった。廊下の真ん中で、微動だにしない。 「……」 微動だにしないのは、本来動くものではないからだった。普段であれば、夏も暮れにさしかかる頃に見られるそれは。 「……まさか」 盆飾りだ。名を精霊馬。野菜に串で足を生やした飾り物。廊下の真ん中で、足がついたきゅうりが、屹立していた。 「わ、若葉さん……!」 「嘘でしょ?」きゅうりの衝撃以上に、海鈴の発言は衝撃だった。「あれが睦だって言うの?」 「だってこの流れでいきなり廊下の真ん中に盆飾りですよ!あれが若葉さんじゃなくて、なんだって言うんですか!」 「いやまぁ流れ的にはそうだけれども!」 「む、睦ちゃんがきゅうりになっちゃった…!?」 「受け入れが早すぎる…!」 「わんわん!」「ムツミデスワー」うい犬とさきタコがきゅうりに飛びついていった。「あぁっダメだよ!」初華が先んじて飛び出し、精霊馬を取り上げる。 「ナイスプレイです三角さん。危うく若葉さんがマチルダに食べられるところでした」 「知り合いが可食の存在になったのが初めてでついていけないよ私…」「キーキー!」 「こらこら、ダメだよう」初華がきゅうりを頭の上に掲げる。そのまわりではうい犬がきゅうりを狙ってぴょんぴょん跳ねていた。さきタコはまたうい犬の頭にくっついている。「ムツミー」人気の無い廊下だったが、内外から微妙な視線を感じた。アイドルがきゅうりを持ってタコや犬と戯れている。悪い夢だった。 「わかった」立希は今日一番深いため息をついた。「睦である可能性が捨てきれない以上、そのきゅうりも連れて行こう」 「だ、大丈夫かなぁ…うわっと」「あおーん」 「…これ半分食べて若葉さんに戻ったらどうなるんでしょうか…あるいは漬物にしてから…」 「しっかりして海鈴。今日はお前が人間側にいてくれないと困る。普段犬以上に手をかけてるんだから」「キーキーキー!」 「な、立希さんひどい!マチルダ、あの人を噛んでもいいですよ!」 「そういうことしてるから信用失くすんだって」 「信用あるならこの子止めてよぅ。睦ちゃんがおやつになっちゃうよ」「あうあうあう」 こうして、猫とリスを抱えた立希と、きゅうりを持った初華と、タコを乗せた犬を連れた海鈴は、全てを解決する地を目指した。まるでブレーメンの音楽隊だ。しかしブレーメンに辿り着けるのか、誰もわかっていなかった。 ④ 【前回のあらすじ】 迷い犬を拾った花女1-B三羽烏。さらに迷い猫、エゾリス、きゅうりを仲間に入れて、生徒会長を目指す。 「夜はサーカス〜ヴェールの道化〜」 「海鈴。陰気な歌歌うのやめて」 「そうですか。では…いざゆこ!わちゃもちゃわちゃもちゃふ〜ら〜ふ〜る〜り〜」 「過度に陽気な歌もやめて」 奇妙な動物たちを連れた、三羽烏の行進は続いていた。3人とも、もはやこの場で起こることにも、周りから向けられる視線にも、慣れてしまっていた。3人とも人の目を気にするタチのはずだったのだが、かなりどうでもよくなっていた。 「この学校は無法地帯ですね。この百鬼夜行を誰も止められません」 「それは無法側が言って良い台詞なのか?」 「戸籍もろくに確認しないダメ学校だよここは」 「え?三角さんが急に荒んだ?」 初華の邪気に当てられた海鈴から、ぷち海鈴が一体分裂して転げ落ちた。「ウワ」それをうい犬の頭に張り付いたさきタコが触腕でキャッチする。「スミマセン」「イインデスノヨ」ぷみりはそのままうい犬の帽子の中に避難した。これはあまりに小さな事件で、誰の気にも留まらず、行進は続いた。 「なんかもう、次に何が来るのかちょっと楽しみだよ」歩きながら初華が言った。 「きゅうりで打ち止めにして欲しい…」立希は嘆息したが、海鈴はまた顎に手を当てて唸った。 「いえ、もはや何が起きても不思議はありません。次は長崎さんか、高松さんか…」 「と、燈か…」立希は、動物になった燈を想像した。やはりペンギンだろうか。ぐーがーと鳴く燈ペンギンを想像して、立希の頬が緩む。「ふふ…」 「立希ちゃんわかりやすいね…」「タンジュンデスワー」 「ちょっと立希さん。次はもしかしたら私かもしれませんよ」 「お前本人がここにいるのにか?」 「さて、私は何になるでしょう。狼でしょうか。鷹でしょうか」 「自己イメージがやけに気高いね海鈴ちゃん」 初華がやや呆れ気味に言った。立希の頭の中には、色々な動物が思い浮かんでいた。海鈴は一見クールなパンクガールだ。だが、その内面は不器用で悩める少女。そんな彼女を適切に表す動物がいるだろうか。狼は…少し美化しすぎだ。鷹も…いや鳥はありそうだ。やかましくて、考えが足りない。立希はまた頰が緩んだ。 「次は何を笑ってるんですか」 「別に。きっと海鈴は海鈴だよ」 「?それプロポーズですか?」 「違う」 「私は次もさきちゃんがいいなぁ…」「わん!」 「キーキー!」突然、野良猫の上で寝ていたエゾリスが床に飛び降りた。そして廊下の先へたったかと走ると、廊下の隅に転がっていた石に飛びついた。「リッキー!リッキー!」エゾリスが鳴きながら、石をコツコツと叩く。 「石が…気になるのかな?」と初華。「リスは石でクルミを割るようですからね」海鈴も推理する。しかし立希だけは黙ってそれを見つめていた。「キーキー!」 「…」 無言の立希を見て、ふたりも察した。初華などは、彼女を止めるべきか、とも考えた。しかし止める理由は一握りの正気でしかなく、正気などはもはやこの場では用を為さない。 「…立希さん。まさかとは思いますが」海鈴が立希の肩に手を置いた。 「……」立希は、なおも動かなかった。彼女にも葛藤があるのだ。 「いえ、話はわかるんですが、立希さんはそれで良いんですか?」 「…もう、きゅうりを睦扱いしちゃった以上…」 「しかしきゅうりには足がありました。石がどうやって動くと言うんですか」 「転がる。燈なら、転がる…」 「うわっ!立希ちゃんの目がキマってるよ!」「みゃおっ」野良猫がわずかに毛を逆立てる。 「立希さんは高松さんのことになると正気を失いますから心配です」 「燈のことで万全を期すのは当たり前でしょ」 「立希さんにこんなに想ってもらえるなら私も石になればよかったです」 立希は「念のためね、念のため」と言うと、リスと一緒に石を拾った。「リッキー」リスが嬉しそうに鳴く。片手に収まる滑らかな小石。それが良い石なのかどうかは、この場の誰も審石眼を持っていなかったので、判断がつかなかった。 立希がおもむろに石を耳に当てた。 「…何してるの?」 「歌が聞こえる気がする…」 「私今かなり泣きたいです」海鈴が絶望的な顔で立希の奇行を見ていた。 さきタコが「アワセルカオガアリマセンワ…」と言いながら触腕で顔を覆う。「落ち着いてよ、ちいさきちゃん。石に顔はないよ…」初華は複雑な顔でしょぼくれた。 結局、行進の最後のメンバーは石だった。ついに無機物が仲間となったのだ。立希は石をふところに大事そうにしまった。狂気の沙汰だった。 … 「それで…」と、生徒会長は言った。「これは…何?」 「学校に迷い込んできた動物たちです。もしかしたら、元人間かも知れないんです。生徒会長なら解決策を示してくださるかと」「あうん」 「情報量が多いね…」 三羽烏は、ついに生徒会室で彼女と相対していた。なぜか交渉役は海鈴だった。権力者を前に信用を披露したいのか、傍らにうい犬を従えて、ペラペラと事情を喋っている。生徒会長はこの異常事態を受けても、そこまで驚いていなかった。一体どれだけの修羅場を潜り抜けてきたのだろうか、と3人は感じた。 「じ、事情はわかったけどさ、普通そういうことは、先生に頼らない…?」 「ここの先生は頼りないです。会長はすごいと聞きました。あの弦巻さんとも深い関係ですし」 「こ、こ、こ、こころとふ、ふ、深い関係!?私が!?あ、ああ、うん、そうかも?バンドやってるしねぇ、うん」 ((大丈夫かなこの人…))「くぅん?」 「いやでも…」生徒会長が声を顰めた。「こころにこういう面白い状況を見せるのはどうかな…?」 「と、言いますと」 「いや、こころのことだから、「みんなでこの子達と友達になりましょう!」とか…いや、「この子達を学校で飼うのはどうかしら!」とか…?場合によっちゃ「この子達で音楽隊を作りましょう!」とか、大胆なことを言い出すかも…」 「随分と破天荒な…」 「会長も苦労があったんですね」「ヒィーオソロシヤ」 「で、でも、弦巻さんならこの子たちを人に戻せるかもって」初華が慌てて手を合わせた。 「…魔法使いだと思われてる?まぁでも魔法…うーん…そうなのかも…?魔法かもなぁ…」生徒会長がうんうんと悩み始める。 「会長、どうなんですか!」 「うぅ…こ、これは内々で処理できるのがいいかな…私から黒服さんにこっそりお願いして…」 と、そのとき、部屋の天井がガタガタと鳴った。4人が一斉に上を見上げる。音はギシギシと天井じゅうを動き回り、そのうち天板のひとつがガタッと外れて、そこから等身大の影が落ちてきた。「新手の怪異…!?」3人が警戒する。 「いや…これは…」しかし生徒会長はその正体にいち早く気がついた。「こころ!」 「なんかこの部屋からすごい面白いものの気配を感じたわ!」降ってきたのは、弦巻こころその人だった。「ヒィ~デマシタワ~」さきタコがすぐさまうい犬の帽子の中に潜り込んで姿を隠した。 こころがキョロキョロと辺りの状況把握を試みる。「これは何?この子たちは?何が起きてるのかしら?」 「あーあーこれは…」呆気に取られる3人をおいて、生徒会長が仕方なくあらましを説明した。「かくかくしかじかで…」と言う彼女の顔は、既に悪い風の巡りを捉えていた。こころが興味津々で耳を傾けているのだ。 「そう…この学校にもまだまだ面白いことがあるのね…」 「こころ。とは言ってもね」 「そうだわ!ねぇ美咲!」 「く、来る…どれだ…」 「みんなでこの子達と友達になりましょうよ!あ、それともこの子達をこの学校で飼うのもいいかしらね!?そうね、それでこの子達で音楽隊を作るのも素敵だと思わない?」 「全部来た…!」 こころが目をキラキラさせながらうい犬に駆け寄る。うい犬は「わおんわおん!」と言いながら、こころにじゃれついた。「カワイイ子!」生徒会長は頭をかいた。 「あのう…この子たち、もしも人間だったら元に戻して欲しいと言うか…」立希がおずおずと話しかける。立希の腕の野良猫が片目を開けて「にゃあ」と鳴いた。 「あ、そうよね!まずは確かめなきゃいけないわよね!」こころがうい犬を撫でながら返事をする。「それじゃあ、今日この子達を連れ帰るわね!」「あうん!」 「あ、ども、助かります…」 「で、この子達が本当の動物だったら音楽隊を作ってもいいのかしら?」 「あはは…良いと思います…」初華が曖昧に返事をした。彼女はきゅうりにどうやって楽器をやらせるのだろうか。しかし、こころからは野菜に楽器をやらせるだけのオーラを感じた。 「…あ、そうだ」立希が懐から石を取り出した。「これも一緒にいいですか」 「…これは…」こころが石を凝視する。「ロックにかませっていうメッセージかしら」 「あ、違います…えと、実はこれも友達かも知れなくて」 「貴女、石とも友達になれるの?」 「クッ、世界観が違いすぎて微妙に話が噛み合わない」 生徒会長が横から石を手に取って「ままま、あとは任せといてよ」と、とりなす。「この子達は私たちで何とかしとくから」生徒会長かこころに何やら耳打ちした。「オッケーよ!」こころは何某かを了承したようだ。3人は、生徒会長がこの地位にある理由を少し理解した。 「それじゃあ…」立希たちはその場に連れてきたお供たちを放した。うい犬、野良猫、エゾリス、きゅうりが並ぶ。 「わふ」「みゃお」「キー!」「キュー」 「うぅマチルダ、名残惜しいです」海鈴はうい犬との別れを惜しんだ。 「この子の名前、マチルダなのね?」 「いや、こいつが呼んでるだけです。気にしないでください」 「一周回ってこの子が一番正体不明なんです…」 愉快な仲間と別れると、3人は一礼をして足早に生徒会室を後にした。みな、これ以上異常事態がエスカレートする前に、早くホームに戻りたがった。もう変な動物は連れていなかったはずなのに、帰り道でもおかしな注目を集めている気がしてならなかった。 「立希さん、三角さん」海鈴が口を開いた。「さっき、会長と別れたときのことなのですが」 「うん」 「きゅうり、鳴いてましたよね」 「気づかないようにしてたのになんで言うんだよ…」 「野菜食べるの怖くなってきちゃった…」 3人はそのまま無事に教室に帰りついた。幸いその日はそれ以上事件は起きなかった。やけに長い昼休みであった。 そして、初華が重要な忘れものをしたことに気がついたのは、家に帰ってからであった。 ⑤ 【前回のあらすじ】 迷い犬を拾った花女1-B三羽烏。迷い猫、エゾリス、きゅうり、その他を弦巻こころに委託し、無事に三羽烏の音楽隊は解散となった。 「海鈴ちゃん!立希ちゃん!気がついてた!?」 事件の翌日の昼休み。海鈴と立希に遅れて初華が中庭に駆け込んで来たと思えば、すぐにふたりを問い詰めた。 「昨日ワンちゃんと一緒にちいさきちゃんも渡しちゃったこと!」 「あぁ…そういえばさきタコがいなくなってたのか…気がつかなかった」 「マチルダの帽子の中にいたんでしょうか。豊川さんに怒られましたか?」 「ううん。さきちゃん、「仮にもわたくしの眷属ならひとりで帰ってこれますわ」って言ってた」 「自分に厳しい…のか?」 「豊川さんらしいですね。ということは」海鈴が自分の首筋を指差す。「今日の三角さんは、首輪がオブトパスの代わりですか?」 「海鈴あんまり無神経なこと言うなって…」 見ると確かに初華の首では、黒い帯が喉輪を締めていた。「首輪じゃないよ!チョーカー!」初華が焦って言う。 「犬じゃないし、いくらなんでも首輪はつけないでしょ」立希もフォローを入れる。 「そんなこと言って私とワンちゃん間違えてたのに…」初華はふくれ面だ。 「このチョーカー、さきちゃんがくれた優れものなんだ」 「ほう、プレゼントですか。いいですね」 「プレゼントにチョーカーって言うのはちょっと首輪っぽいな…」 「これね、GPSと電撃が流れる機能がついてるんだよ」 「それは本当に首輪じゃん!祥子何やってんの!」 「人と密着すると電撃が流れるからあんまり近づかないでね」 立希は、祥子の支配力と、それに従順な初華に改めて唖然とした。まさに破れ鍋に綴じ蓋だ。確かに立希にも首輪をつけたい人間は何人かいるが…と思っていると、海鈴が横から立希の袖をくいくいと引いた。 「立希さん。立希さんなら私に首輪をつけてもいいですよ」 「その辺に鎖で繋いでていいってこと?」 「信用を失うことしたら電撃を流してもらっても構いません」 「じゃあ次の日にはロースト海鈴の出来上がりか」 初華が「電撃は取り扱い注意だよ〜」と言い始めたので、ふたりで黙殺した。察せられる彼女の日常は危険な領域に突入しつつあった。 「そんなことより海鈴ちゃん。あの子達がどうなったか、会長に聞いたんだよね?」 「ああ、はい。立希さんは、彼らの正体が多少わかってますよね?」 「うん。昨日放課後に連絡したら、全員人間のまま無事だった。だから…」3人が目を合わせる。「あいつらは私の知り合いによく似てるだけの変な生き物だった…という…」 「えぇ…そうなの…」初華が若干引いている。 「はい。立希さんの報告通りです。彼らは元人間ではありませんでした」 「きゅうりも…?」 「きゅうりも、です。しかしですね」海鈴が朗々と説明を続けた。「新たな説も持ち上がっているそうです」 「新たな説?」「って何」 「会長が言うには、あれらは別次元の同一人物の可能性があるそうです」 「…は?」 「実際、弦巻グループがマルチバースの存在を発見したのが二ヶ月ほど前の話です」 「ちょっと待って」 「何らかの原因による時空のねじれからこの周辺で次元の穴が空き、そこから立希さんを特異点として」 「ちょっと待てって!」 「なんなんですか。まだ話の途中ですよ」立希の介入に海鈴が顔をしかめた。 「肝心のその話、方向性がおかしすぎない?」 「今更そんな話ですか?」 「…」今更と言われると立希も苦しかった。散々異常事態を経てきたのだ。やはりあのときピンクのエゾリスをスルーすればよかったのかもしれない。 「となれば、あの石も…別世界の燈か…」 「あ、あの石だけは違うそうです」 「は?」 「あの石だけは正真正銘ただの石でした。千早アノリスさんが気に入っただけの、ただの石です」 「じゃあ立希ちゃんは…」 「はい。ただの石を後生大事にしてたわけですね」海鈴がケタケタと笑う。「高松さんとの絆など所詮こんなものですね」立希は気がどんよりと沈んだ。 「きゅうりが睦なのは通って…そんなこと…」 「ま、まあ好きな人だからって、見抜けるわけじゃないしね」初華のやけに実感のこもったフォローは、今回は多少の慰めになった。海鈴はお構いなしに話を続けた。 「いいですか。そういうわけで、彼女らを元の世界に返すべく次元の穴を開く方法を探している最中なのです」 「本当にこの話で回収しきれるのかその設定…」 「立希さん。マルチバースの特異点になった心当たりはありませんか?運命を捻じ曲げようとしたり、人の記憶を消そうとしたり」 「ない」 「そうですか」立希の心底どうでもよさそうな返事に、海鈴が向き直った。「三角さんは何か…」 「ふぇっ!?」海鈴の問いかけに、初華が不自然に驚く。ふたりは彼女が冷や汗をかいていることに気がついた。「…あるんですね。心当たり」 「ななななないよ」 「正直に言わないと抱きつきますよ」 「言います…」電撃を恐れた初華は直ちに観念した。おずおずと話を始める。 「話すと少し長くなるんだけど…」 「いいでしょう」「聞くよ」ふたりは背筋を正した。初華が整理しながら話を始める。 「あのね、私が昔、おかしな蜘蛛に噛まれた事件から話が繋がってるんだけど」 「はい」「うんうん」 「まず昨日ね、さきちゃんがもう一組自分たちがいたらプレイの幅が広がるよねって言い出したんだ」 「あ、もういいです」「はぁ、またこれか」 「えぇっ、まだ序章なのに」 「三角さんが特異点だったんですねぇ」「不思議な事件だったなぁ」 「あぅ…何にも説明してないのに強引に話を終わらせようとしてる…!」 海鈴がわざとらしく空を見上げて「いなくなってみると寂しいものですね、彼らも。」としみじみと言った。「今頃音楽隊を組んで頑張っているのでしょうか」 初華も諦めて海鈴に倣って空を見上げる。「また会えるといいね。きゅうりの睦ちゃんにも」 「一番名残惜しくない奴を出してきたね」 「立希さん!」海鈴が立希にまとわりついた。 「なに?鬱陶しい」 「二人暮らしをするときは、犬を飼いませんか!」 「やだ。海鈴、絶対世話しなくなるから」 「信用〜????」 「私もワンちゃん飼ってみようかな〜」 「…それは祥子の多頭飼いみたいになりそうだね」 「うちのバンドはもう豊川さんの多頭飼いみたいなものですよ」 「自分で言うなってのそういうことを」 三羽烏は様々面倒な懸念を全て忘れ去り、ごちゃごちゃと話を始めた。今回の事件は結局何も解決はしなかったが、忘れてしまうのが1番だ。立希はおかしな動物と関わることがもう起こらないように、初華はとっととさきタコが帰還するように祈った。海鈴だけは、いつも通り何も考えていなかった。 ──── 「なんとかだっしゅつできましたわね」 「わふ!」 実際、弦巻カンパニーのセキュリティを掻い潜るのは並大抵のことではなかった。さきタコはうい犬の頭の上で、自分たちの小ささに感謝した。 「とがわさん。これからどうするんですか」 うい犬の背中にへばりついたぷち海鈴が問いかけた。その通りだ。カンパニーからの脱出を図っても、まだ外界は危険ばかりだった。 「そんなのきまってますわ!」しかしさきタコは、うい犬の帽子をべしべしと叩いて、堂々と宣言した。 「おうちにかえりますわよ!」 「おお。たよりになります」 「わん!」 こうして、さきタコとぷち海鈴を乗せたうい犬は、自宅への旅路を反対方向へと走り出した。 なおこの3匹が、各地で事件を起こすのはまた別の話である。