今は昔、■■に貧しき農夫ありけり。 日頃まめに働けども甲斐なく、日夜の食にも困りけり。 ひとひの夙に、畑に向かひて、道の半ばに一羽の野兎の、括り罠にかかりしを見ゆる。 男、久しく獣肉を食らふこと能はねども、哀れに思ひて、兎を罠より解き放ちて逃がしけり。 その宵、床に就きし男、戸の音を聞きて名を問ふも応へず、二三度聞きて、また応へなし。 其故に彼方の者に入らせて、その顔を見るも暗がりにておぼつかなし。 近くに寄れば、若い女に見ゆるも、見えぬ顔なり。女、名を語らず、男に寄りて座る。 艶かなる肌に、男、あやしと思ひて、縁を尋ぬ。女、訛りありし口付きにて、一夜の宿を乞ふ。 男、はや夜も更けしに、追ふも辛しと女を宿らせ、共に夜を明かす。 女、男の布団に物言はずして入り、衣を脱ぎ滑す。脱ぎたる衣、兎の毛皮とも見えたり。 艶かしき肌、この世のものとも思へず、愛嬌付きたり。男、間近く見入る。 女の指、男の衣の隙間に入りて肌を撫で、細やかなる指の冷たさに、男、身を振るふ。 女から男の独りなるを問ひ、呼ばひすること、はなはだ非常なり。 されど、男、抗ふこと能はずして、やがて語らひたり。懇ろなること常の夫婦とつゆ変わらず。 明くる朝も、女は去らず、かの家に残りたり。男の畑より帰るを待ちて、 木の実、草の根などにて汁を拵へ、ふるまひたり。男のともがら、女のゆゑを怪しめど、 男もまたそれを語らず、妻としてかの女を慈しむこと、一歳となる。 女の腹膨れ、胸より乳垂るる。黒き乳首の上に、白き雫の流れし様、墨絵の逆の如きなり。 男、妻の胸を吸ふも尽きず、乳の中に溺れかければ、慌てて口離けり。 女、孕みてもなほ夫を誘ひ、自ら腰を動かしてかの男の精を受く。その顔、いとたはし。 さて、この男、妻の身重なるがやや子を産みても腹のくぼまらずを怪しみてそのゆゑを問ふ。 女、他のやや子の腹にあるを答え、己が正体を語る。何と、兎の人に化して呼ばひたるなり。 罠より放たれし恩を返しけり。兎は身重にてもまた孕まるること、人とは異なりき。 女、三月ののちにまた子を産み、さらに三月のち、再び産む。 男の家、子、数多なれども、次第に豊みて、兎長者と呼ばれたり。 畜生にても恩を感ずる。人ならさらなり。 されど身重の女とまぐわひすること慎むべしとなむ、語り伝へたるとや。